ワインドアップ
明日の自分は面白い!

EYEねじまき世代の目

谷中の金物屋

大学を卒業すると同時に自宅を出て谷中に住んだ。初めての下町生活は、人情豊かでよそ者にも優しい居心地良い暮らしが待っていた。

 

自宅から谷中への引っ越しの当日、家具などの大物の搬入を終えたものの、こまごました足りない生活必需品がいくつかあった。徒歩数分圏内の、長屋が立ち並ぶ細い通りに面した金物屋をのぞいてみる。店や品物は古いものの、いろいろなものが揃いそうで当面は助かると思い物色していると、「何を探してるの?」と店番してたおばあちゃんから声をかけられた。「引っ越してきたばかりで、色々無いものがあって」と返すと、奥に引っ込み暫くして竹で編んだ籠を抱えてきた。「これあげるよ」と、籠に載せていたのは無数の試供品。1回使い切りのシャンプーや液体石鹸の山。いつの間にかたくさん貯まってしまった試供品とのこと。「引っ越しはお金もかかるし、これでも使って節約して!」と笑顔で差し出された品々を、ありがたく戴いた。

 

住んでいた当時は、まだ長屋が連なり、大都会東京に残された数少ない「どこに誰が住んでいるか手に取るようにわかる」ようなエリアだった。必然的に人にやさしい「人情」のコミュニティが育ったのだろうか。

 

そして谷中は寺町と呼ばれるように寺院と墓地が多い。木造家屋密集地にもかかわらず関東大震災、第2次世界大戦でも被害少なく、旧来の古い町並みが残った。初めての下町生活は、古い街並みを楽しむ一方で、本質はハードではなく「人情」であると気づいた貴重な体験だった。

+10
未ログイン